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『プラトニック』第5話感想・・・というよりも、脚本家・野島氏に一言 [My Life]

NHK-BSプレミアムドラマ『プラトニック』(脚本:野島伸司氏)第5話(6/22(日)放送)、堂本剛さんの演技が圧巻でしたね[ぴかぴか(新しい)]

今週も、先週同様、翌日23日(月曜日)に観ることができました[わーい(嬉しい顔)]


でも、第5話を観ていて、「えぇっ!!」と思い、その後も、悪い意味で頭から離れないセリフがありました。
ブログに書くかどうか迷いましたし、書きました後も、いつ公開すべきかも迷いましたが
(「全8話が終わってもからでもいいかな・・・」とか、「せめて第6話を観てからでも・・・」とか。
あるいは、「書く」ことで少しはすっきりしまして、「ドラマだし、もういいかな・・・。」とも思いました。)、
日常生活にも影響を与えてきましたぐらい嫌悪感を覚えていますし、また前記事にも関連しますことですので、今日公開します[ペン]




それはこのセリフです[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]

最後のほうのシーン、沙良と青年の会話のなかでの沙良のセリフ
  「声が聞こえたの・・・あなたの。きっと・・・心の声が。」



「声が聞こえた」と安易に用いているところに、初めて聞きましたときから、嫌悪感を覚えました。


そう申しますのも、
「脳内神経伝達物質の分泌過剰により、幻の声が聞こえる(聞こえた)人の苦悩も知らずに、恋におちる二人を結びつける綺麗なセリフとして、『声が聞こえた』などと安直に用いるな!!」
と思いましたからです。


私の場合、幸いにも薬により、「声が聞こえる」という症状は抑えられていますが(←薬により症状が抑えられているだけで、薬を止めると、約80%の確率で再発するらしいです[爆弾])、薬が効かずにその症状に苦しめられている方々もいらっしゃるようですし、たとえ、そういった陽性症状が抑えられても、声が聞こえたことのある人というのは、たいてい、その後、人生設計の変更を余儀なくされ、そのほかの陰性症状により、長い間生きづらさを抱えて生きていくことになります。



その苦しみも知らずに・・・、いや、知らないからこそ、そのセリフを「綺麗に」用いられたのでしょうが、「死をテーマに」脚本を書かれていらっしゃる野島伸司氏が、死と隣り合わせの、自殺率約10%の病に対して無頓着なところに、幻滅しました。


それとも、「声が聞こえる」人の苦しみを知っていながら、挑発的に用いられたのでしょうか??
そうだとしたら、なおさら、怒りを覚えます。






堂本剛さんのファンとしましては、そのセリフが、「剛さんから発せられたものでなくて良かった・・・。」と思います。


そして、剛さんが、以前ラジオ「堂本 剛とFashion & Music Book」で、レコード会社の人から、「剛の歌詞は、優しすぎやないか?」と言われたと、おっしゃっていたことを思い出しました。


「♪瞬き」については、「優しさをそぎ落とした曲」であるということ、
瞬きをしても何も変わらない、目の見えない人に対して、配慮の欠けるものであることを気にされ、今後、「誰に対しても優しい曲ではなく、スピード感のある曲が増えていくかも知れないけれども、決して、優しさを忘れたわけではないということを、分かってほしい」旨のことをおっしゃっていました。




野島氏が、あのセリフを書かれたとき、「その場にいない人の声が実際に聞こえる(脳がそのように認識する)人」のことを意識されたかどうか、そういう人にどのように伝わるかを考慮されたか否か、甚だ疑問です。


あの場面は、二人が精神的に結びつく崇高な感動的な場面なのかも知れませんが、私にとりましては、「声が聞こえるという事態は、そんな生易しいものではない!ふざけるな!!」と、憤りさえ感じる場面となりました。
(堂本剛さんの涙の演技は素晴らしかったと思いますが・・・。)




野島伸司さん、あなたは一体どういうおつもりで、あのセリフを用いられたのでしょうか?

その場にいない人の声が聞こえるということが、当事者にとってどれほど深刻なことか、お考え及びましたでしょうか??


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